これは Iona & Peter Opie 編 I Saw Esau - The Schoolchild's Pocket
Book 新版(1992 Walker Books Ltd, London) の麻田まさと による日本語訳版です.私は自分の私家版を「ねこばん」と称しています.1994年に自費出版したマザーグース訳詩集を『ねこばん まざあぐうす』と名付けました.その続編となる本作は『ねこばん いいそう』です.
ここには版権の問題もありイラストは掲載していませんが,元の本は Maurice
Sendak の挿絵も素晴らしく,ぜひ一読をお勧めする一冊です.日本語版は1993年,ほるぷより出版されています.
0 番外,原詩が「目次」の acrostic であるので私訳でも折り句にした.もちろん原詩は,コニー・オニーというあだ名のいたずらっ子トミーがネリーのおやつの棒キャンディーを食べてる,という内容.3〜4行目が苦しいんですけど,是非「ねこばん」にしたかったもので.
1 again / pain の押韻を -oo に移してみました.その分,初行は意味がずれています.長期休暇明け,学校へ行く億劫さをうたったもの.全寮制の学校が念頭にあると思われます.
2 この選集の表題ともなっているライム.Esau は日本の聖書では「エサウ」,ヘブライ語でhairy の意味だそうで,ということは羅語では Caesar に相当する訳ですか.この名は he saw とも聞こえ,この見事な類音には負けます.1行目kの重複も効果的.マザーグースらしいと言うべきか,語呂合わせにしては妙に理屈っぽい内容.意味は一応正しく訳したつもりですが.
3 double-jointed「関節を不自然な方向にも柔軟に動かせる」を簡単に訳すのは難しいです.another と the other はどちらもキスの意であり,match はこの場合悪い方で「匹敵する」.(upon) my word は,やや古風な感嘆表現.おしゃまな女の子が彼氏のことを,ちょっと得意げに話している感じでしょうか.
4 読むと非常に語調の良いライムだし,一見して分かるように脚韻もきれいに整っている.なお alack は「何たる不幸」のような意味の古い感嘆詞.内容的には,猫を飼っているといかにもありそうな話です.私訳もなるべく原詩に従って押韻を試みたのですが,如何でしょうか.マザーグースの世界には犬よりも猫の方が豊富であり,猫好きの私としては,幸いです.
5 猫を飼ってると蚤ともおつき合いせざるを得ません.捕まえて下手に潰すと卵が散乱するだけなので,ポットに入れるのは正解です.蚤の吸った血が溶け出て紅くなるのかな…と余計なことまで考えてしまいます.Oh
dear me! は普通女性語ですが,お母さんの台詞でしょうか.訳の2〜3行はかなり乱脈な日本語で,読みにくいかもしれません.なるべく訳でも同様の韻をつくりたかったのです.1−2−4行,5−7行はあまり成功していませんが,3−6−8行は良いと思っています.
6 『ねこばん』既出.最後の行は「あさには たかい(他界)した」としていたのですが,collocation
が悪く,訳しすぎだとのご意見を戴き,この形になりました.暴風雨をも一切関知せず熟睡するおじいさんということでしょうが,或いは嵐の音が鼾のように聞こえるという含みもあるのでしょうか.おじいさん,おばあさんはマザーグースの世界では大変活躍するキャラクターですね.
7 本当は,南京虫と蚤で船出して,助かったのは蚤の方.私の悪い癖で,原詩にない余計な地口を紛れ込ませようという誘惑に駆られることがありまして,「シラミのみ」はご容赦戴けると良いのですが.Spanish
Armada には異国情緒を擽る語感があるのでしょうか.なお,「噛みついた」は,元の詩と意味がずれており,最終行の
dirty も訳せていません.
8 巻末の注には,ジョージ4世の妻となった Caroline
of Brunswick のことではないか,とある.キャロライン女王がテレビン油で洗髪するのが正しい.私の和訳では
Marjory で,Margaret の愛称となる.「真珠の艶のマーガリン」としたのは,そんな気がするのではというのと,マーガリンの語源がギリシャ語で真珠だからです.もとのままキャロラインとテレビン油では押韻が消えてしまうので,何とか類音にしたかったのです.
9 男の被っている saucepan とは柄のついた深鍋.耳が痛いのは音が響くせいでしょうか.6行目の意味がずれています.日本にも鉢かずきのような伝承がありますが,何か象徴的意味もあるのでしょうか.
10 Thomas a Didymus は doubting Thomas と言われる,当初キリストの復活を疑った使徒.didymos はギリシャ語で「双子」の意.マザーグースでは印象的な名前が単に音や連想の面白さだけのために登場することがよくあり,これもその1つ.「双子のトマス」という訳は分かりにくいかとも考えたが,「豚の仔」との都合で使わせて戴いた.正しくは牛肉1ポンド.妻を売り買いするというのもマザーグースに頻出のテーマ.19世紀初頭までこの風習は残っていたという.なお「トマス・アキナス」というバージョンも考えたのだが,ボツにした.
11 意味上は keep「経営する/養う」の二義性,音韻面ではpの反復が眼目となっている.多少意味を犠牲にしても,最低限その2つは訳出しようと試みた作.「ピーターパン」の洒落が少し念頭にあります.ピーターという名前の男の子は,このライムに苦しめられるらしい.ちなみに私は浅田なので,『朝だ朝だよ』という唱歌や浅田飴の洒落に悩まされました.日本語にも「みっちゃん みちみち…」のような類例が見られるようですので,ご存じの方は是非お教え願います.
12 『ねこばん』既出.女性語尾 -ess +複数形の -es
を強引に行末につけたのがミソである.「おみおつけ」は,お+み+お漬けであるらしいので,邦訳の方では「おみお」をつけることに決め,それに合わせて全体を翻案した.柱に座って,バター付きトーストを食べ,手首までバターだらけ,というのが忠実な訳.起源的には方言をからかうライムだったのかもしれないと言う.大食らいの幽霊,妖怪の話は日本にもあるが,マザーグースの方がより飲食への執着を強く示すようである.
13 これは概ね原詩どおりです.washerwoman はやや侮蔑的な語感があるでしょう.
14 grace を普通名詞と固有名詞の両義的に用いているのがポイント....
Both put together / Make a very pretty face. のような,訓戒のライムへの返歌と考えられる.Grace
/ face の類音が日本語で出せないのが残念です.
15 「盲」「唖」の使用が気になるところですが,このライムを訳す上では避けられないのでご容赦願いたいと思います.それにしても,差別的ニュアンスのゆえに使いづらい語彙が多いのは不幸なことです.
16 a- は起源的には独語の an に当たる前置詞だが,この形で現在分詞のように用いられる.2−4行の
peas / sneeze の押韻と,2行目のpの反復が効いている.私訳はm音反復になっており,効果は今一つ.4行目の主語が不明確であるかもしれない.
17 #15同様,明らかに矛盾した形容が連続するノンセンス詩.正しくは「7月半ば9月の朝」.「2階の掃除」では意味が違うのだが,見かけ上はこの方が矛盾が明確になるように思う.一万マイルが三千里になっているが値としては四千里の方が近い.これは3→2→1としたかったからで深い意味はなく,一万里で良かったかもしれない.「隣の灯り」は原詩の「すぐ隣」というニュアンスがないのですが.最後の2行は乱脈な日本語になっており,素直にお読み戴けるでしょうか.
18 clout「殴る(こと)」が out と韻を踏む.私訳の最初の2行で「雌鳥ほども大きな雛」という矛盾が伝わるかどうか不安です.
19 50¢を10円にして,全体を翻案パターンにした.レートからすると50円だろうか?独立記念日が日本語では無意味になるためだが,適切だったかどうか.しかし,建国記念日というのも…
20 これも翻案パターンを採った.原詩では4つで1ペニー.you're
a good scholar は算数がよくできるの意.E.O. は音を合わせるためのかけ声のようなものか.down
below「下の方に」は「地獄に」とも読めるので3行のような訳にした.「けなげな」は勝手な地口である.painted
はペンキがついているのか,或いは刺青でも入っているのだろうか.今の子供は「おあし」という言い方を理解してくれるだろうか.
21 固有名詞翻案パターン.からかう相手の名前は Tommy
Johnson でなくても良さそうだ.生姜菓子と訳した gingerbread はクッキーのようなもの,色々な物の形に焼く.原詩ではchop
/ up や dead / head の類音が快い.
22 原文では驢馬だが,donkey = ass = fool という結びつきが消えるので,馬と鹿に変えた.一見無害そうな最初の2行だが,要するに婉曲的に「あんたは馬鹿」と言うためのライム.3行目の
the last one はロバを指す.
23 自分より弱い子に向かって道をあけろと命じるライム.limb「肢」に相当する語が和語にないので,手足としてある.
24 smell 'er と cellar が韻を踏み,tell 'er も見かけ以上に近く聞こえる.地下室に蹴落とすのが日本語であまりぴんと来ないので溝に変えた.smell
her は「臭いをかいでやれ」の方が正しい.この類は日本にも豊富だと思う.
25 『ねこばん』既出,ただし,更にあと3行続く形となっている: 僕が死んだら/墓の中/後悔しても もう遅い!(When
I'm dead/And in my grave,/You'll be sorry for what you called me!)元の詩で
fist となってはいないが,stick / stone の alliteration を訳出する都合により,拳/小石としてみた.このように言い返せるようなら,現今の日本の学校の如くいじめが深刻な問題とはならないのかもしれない.
26 go to pot は「破産する」のような意の熟語.鍋→熱いという連想ではないらしい.なおセンダックの挿絵では,更に猫も“Hot
a lot!”と洒落ている.訳では「僕はお利口」と明言してしまっているが,原詩では
I'm not と間接的であり,その方がよりエレガントである.
27 'pinions = opinions,inions ≒ onions だが「リンゴの好きな人 タマネギが好きな人」と訳しても仕方ないのでメロンとレモンにした.melon
と lemon は anagram の関係にありメロンは語源的にリンゴの意なので,当たらずとも遠からずか.「持論」が少し堅すぎるかもしれない.「いろんな異論」というのも考えられるが,同音になりすぎて逆に面白くないように思った.それとも「いろんな議論」?どれがよろしいでしょうか.
28 soul は「人」.silly,hole との類音のため使われている.あらさがしは
nitpicking 等とも言う.訳はより忠実に「穴探しなら」とすることも可能.自ら省みると私もあら探し屋の癖に,自分の間違いは見つけられない方でして,何卒ご指導ご鞭撻のほどを.
29 thumb / come と韻を踏む.文字通りの訳で「自分の指に」でも良かったのかもしれない.しかし,日本語としては唐突な気がしたので,考え落ち的な訳にしてこのようになった.なおセンダックの挿絵では,更に犬が
Dumb! と洒落ている.
30 The rose is red 以下4行は引用というべきで,通常のマザーグースの詩句,『ねこばん』既出.大作だが,縄跳び歌らしい.bonnie
lassie というあたりはスコットランドっぽい.死にかけているのを二階にあげて寝かしつけられるのは赤ちゃんでなく,彼女と読むのが正解だろう.
31 冒頭は「貸家あり委細面談」といったところか.
32 lean / in と fat / back の類音が訳出できればと思うのだが,思いつかなかった.3行目の「もってこい」を「最適の」の意味に読んで戴けるでしょうか.
33 seedcake ならノーマルなケーキなのだろうが,seedy
なので怪しげな,食中たりを起こしそうなケーキということになる筈.「草ぃ餅」はやや強引かもしれません.このライムは様々な訳を考えて,中に「あの世いき」というバージョンもあったのですが,行き過ぎかということで.
34 platter は「大皿」.意訳ですが,まあ許せる範囲かと思います.
35 「駄目だ」とは書いてないが,rains / pains の類音を出したかった.原詩では「白いワンピース」をからげている.docks
は良くわからないので,ごまかしてある.
36 括弧内に然るべき名前を入れて使用する.私訳は,一応米大統領にしてみたにすぎない.chuck
は「放り投げる」の意.意味が少しずれて良ければ「あごに一蹴り」もあり得る.勿論
punch は手で殴る場合にしか使わないが.
37 私事ながら,カトリック系の小中に通っていたので,「天にまします我らの父よ願わくは御名の尊まれんことを御国の来たらん事を…我らを試みにひき給わざれ我らを悪より救い給えアーメン」という難しい訳で,小学一年の頃から食前の祈りを唱えねばならなかった記憶があります.食前の感謝の祈りを唱えることを
say (a) grace と言う.センダックの挿絵は Cramit Inn という宿屋に大挙して入っていっている図.
38 praised / raised,blowed / stowed と行の内部でも韻が合っており,たいへん口調がよい.私訳は2,4行でこれに対応する類音をつくろうとしたが原詩に及ばないため,更にkの頭韻を追加した.この blow は「呪う」で,この意味の場合は過去分詞として blown を用いない.stow [stou] は「詰め込む,しまい込む」.最後がすこし汚いかもしれません.相済みません.
39 「正しい」訳は,「岩にあって石にない」,「シーツの下に敷く長枕にあって寝台にない」であるが,謎詩はなぞなぞとして訳すべきだとの基本方針に従って,このように翻案した.原詩の答えはrの字で,私訳の答えは「い」となる.「しょうじゃ」が少し苦しいので,ふりがなをやめて「生者にあって死者にない」とすることも考えられる.
40 正常な訳は「ロンドン橋を渡る際ウェストミンスターの学生に出会った,彼は帽子を脱ぎ手袋を外しておはようの挨拶をしてくれた.さて彼の名前は?」で答えがアンドリュー.私訳は全然意味が違うと非難されそうだが,日本におけるマザーグース研究の第一人者である 平野敬一 氏の名前を無理を承知で織り込ませて戴いた.3行目は Paul Gallico の「雪のひとひら」の連想が働いています.
41 『ねこばん』既出.答えは「本」.教え子に聞いてみたところ,納得いかないとの答えが多く聞かれました.本当は「学者だね」が少し誤訳気味で scholar の意味は前のライムと同様であり,「勉強の良くできるおりこうさん」ぐらいの方が,あっているのではないでしょうか.
42 ライムだけだと謎の内容が分からない.肖像画を指さして唱えていると考えて戴きたい.my father's son = me であるから that man's father is me であるので,答えは my son となる.
43 主として人名と「煙突掃除屋」の音遊びで成り立っているライム.Eaper / Weper / sweeper と音が変化するのが心地よく,これは日本語に移しにくい.日本中の遠藤伸二さんにお詫びせねばなりませんが,固有名詞翻案パターン.Peter, Peter, pumpkin eater ... とは音韻,内容ともによく似ている.
44 原詩は「誰の娘も服を脱いで水に飛び込んだりはしなかったよ」のような素直な英語なのですが,訳そうとすると難しい.「真理」は一応普通名詞ですが,マリという人名に見えないかという期待も含まれています.原詩の趣旨が伝わるかどうか,やや苦しいかもしれません.ところで nobody は「とるに足らない人物」のような意味にも解釈可能ですが,そう読むと意味が逆転し,Truth という名の娘が水に飛び込んだことになってしまいます.I love sixpence, jolly little sixpence ... のライムの落ちの部分で I love nothing better than my wife が両義的であるのと同様でしょうか.nobody や nothing といった単語は英語におけるトリックスター的存在と言えるかもしれません.
45 #12と同じような仕掛けのライム.モーゼズの類音を強引に作り,toeses,knowses としているのが眼目.私訳は得意の(?)固有名詞翻案パターンです.性別が違ってしまいますが,如何でしょうか.蘭も勝手な訳ですが,「足の指は薔薇」では音が合わなくなるものですから.
46 このライムはふり付きで唱えて遊べるらしい.米での元の形では Piggy が Paddy だったそうで,鉄道敷設作業員のアイルランド人をからかった唄が起源か.私事ながら,母方の祖父は単身メキシコに渡り,米で鉄道労務者として働き,帰国して店を開いた人だった.そういう目で読むと感慨深い.
47 Bligh / fly / pie の類音により成立するライム.固有名詞翻案パターンを採った.中村愛という名前の皆さん,ごめんなさい.東京弁の方は,ぜひ「はい」と発音してみて下さい.
48 この詩は概ね正確な和訳になっています.いすの足をくしにするのは難しいかな,と思いますが.
49 「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます」みたいなものなのだろう.ただしこっちのライムの方がやや大仰なスタイルのようだ.私訳では文体が合っていないかもしれない.
50 固有名詞翻案パターンです.「くにゆき」と読んで下さい.3行目は hang me の強調表現であり,別に上げたり下ろしたりする訳ではない.
51 bottle green は安いソーダガラス製の瓶のような暗緑色.もちろん「ネクタイ」ではないのですが.two と sixteen の後に nips があると考えます.ところで昔坊主頭にしたての生徒の頭を「お初」といって平手打ちするのは,全国的な風習だったのでしょうか?今は中学生の丸刈りが殆ど滅びているので,もう行われていないかもしれませんが.
52 gallery は二階桟敷席.pit は stall 後方の低料金の平土間,box は枡席.Order! は議場で静粛を求める時などに使う.「静粛に」と怒鳴っているという矛盾もおかしい.
53 「どっちへ倒れても」の方が正しいだろうが,字余りになるのを避けた.I built my ... のあたりで既に避難を開始するものだそうだ.
55 私訳は五七五七七になってしまいました.押韻上は a pretty girl でも良いように見えますが,スコットランド風に lass が使われているのは kiss との語呂のせいでしょうか.
56 leave は退出する許可.最終行は time for us to get leave の略.膝の間に挟んだ教科書に両手の人差し指を交互に当てていき,終わりかどうかを占うのだそうである.チャイムが鳴るのが待ち遠しい子供の気持ちがよく分かる気がする.
57 フェリシア・ドロシー・ヒーマンズ (1793-1835) の代表作 Casabianca のパロディ.この詩は19世紀の子供たちが暗誦させられたものらしい.whence は from which に相当する.gorge は再帰用法または受動態で「たらふく食べる」.crust / dust の内部韻を訳ではパン/パンクとしてみた.3聯の thunderclap は「雷鳴,青天の霹靂」の意味.センダックの挿し絵が実に素晴らしい.モップにより掃きあげられた少年は天井からぶら下がっているものと見え,こわいメイドがものすごい形相で見上げている.
58 down town / Brown の押韻を近似するため,佐知さんに会いに町へ行くことにした.韻の要請によってどんどん意味が逸れていくという,マザーグースお得意のパターン.正しい訳としては「ブラウンさんに会いにいって5¢貰いピクルス買ったら酸っぱすぎて,花を買ったら黄色くて,男を買ったらそいつは病気で,蹴飛ばしてお払い箱にした」となる.原詩でピクルス→酸っぱいが極めて自然なのに対し,ジュース→くさいはあまり必然性がなく,苦しい気がする.登場人物を殺して一件落着させるパターンのライムは枚挙に遑がない.
59 言うまでもなく伏せ字は地獄/hell である.#88でも伏せ字的取り扱いになっており,英米の伝統的価値観からすると忌むべき語なのだろう.逆に言うと,だからこそ子供らは親や教師を困らせようとして,このようなライムを口にすることとなる.原詩では seven / heaven の押韻になっているが,7→8→9→10という数上がりをつくりたいとの衝動に駆られ,上のように翻案してしまった.子供の数が挿絵と矛盾すると文句を言われそうだが,驢馬まで数えて何とか辻褄が合う,と理屈を言えなくもない.原詩の訳は「モーゼは聖人,7人の子供がいて,驢馬の引く車を借りてみんなして天国へ行こうとしたら,途中道に迷い,馬車を転覆させてしまい,結局×××に客を降ろす羽目になってしまった」のようになる.
60 最初の2行だけなら在り来たりの処世訓のようなのが,あとの2行を添えることによってひっくり返っている.ちょうど安心させておいてから足元をすくうようなやり口である.fella は fellow を umbrella と押韻するように発音した形.確かに,馬鹿正直に他人の傘の無断借用などを躊躇していると雨に濡れるしかないのが世の習いと言え,大変共感できる内容である.
61 掛け声の訳が難しいが,この感嘆詞だけのために成立したライムと言ってよい.巻末注によるとこの語は,1890年頃に流行ったものだと言う.brown bread の br の頭韻を近似しようとして「パンプキンパイ」としてみた.
62 ご覧のとおり原詩では灰色猫である.cor は God の異形.blim(e)y も (God) blind me! が起源だそうで,イギリス英語の感嘆詞.「忘れてた」は正しくは「知らなかった」.
63 固有名詞の Tom,Jill,Bob にはさほど意味がないと考え,私訳では名前を出さなかった.「階下へ」は,文体としては堅すぎる.#15と同様で「盲」の使用が気になるところであるが,致し方あるまい.
64 正しくは姉は乞食にキスされ,兄弟はゴムでできており,赤ちゃんはパンと肉汁でできている.押韻が身上であると考え,大幅に翻案した.小さい子をからかう唄だと言う.
65 crown は5シリング,王冠がついていたためこう呼ばれた.本当は千円では高すぎるかもしれない.
66 tame の意味ははっきりしない.same と韻が合っていればよいのだろう.知っている癖に「名前はなあに」等と聞いてからかう奴に上手に答えて,やり込めてやるためのライム.
67 2行目は初行との語呂合わせ.原詩のt音反復をb音反復に訳すため「縛り首」にしたが,原詩の簡潔さが消えるのが気になる.
68 face と韻をふむ grace は favour の意.「大人」は無理があるかもしれないが,「牛たちがあなたの顔に唾を吐きかけますように」なのでこう訳してみた.最初の2行で安心させておいて騙すライム.このような訳でもイラストを参照すれば何とか意味が通じるのでは,と期待している.
69 初行は諺.3行目は「鏡を見る」意にとれないかとも思うが,考えすぎだろうか.
70 minx はお転婆娘だが hinx は良くわからない.winks に続く類音のため使われている語.「脂が揚がり始める」が正しい.jumping Joan はあまり良い娘と言えないジョーンである.stone dead は「完全に死んだ」という強調表現.knave は語源的にドイツ語の Knabe に相当するが,現在の英語では「ならず者;トランプのジャック」,slave と内部韻をなす.最後の he は slave を意味する.
71 3行目は#50の場合と同様で,stick him の強調表現.crown は「頭」の意味であり,この用法は Jack and Jill のライムにも現れる.
72 Eenty Feenty Halligolun というのは雄猫の名なのだろう.それが夜遊びに出て,喧嘩して毛皮が裂けて,帰ってきてみると Halligolin になっていたというのだろうか?
73 このシリーズ中,おそらく最も無意味に近いライムであろう.初行が1,2であることは分かるが,2行目は全く意味不明.次行は「虚ろな骨,折れた骨」か.9,10と数えた後の5行目も良くわからない.また何をしなければならないと言うのか?7行目は21に続くという以外は語呂合わせ.意味がないものでも訳せないことはない,という実例か.なお日本語の問題であるが,十の読みは「じっ」が正しく,理論上「じゅっ」というのはあり得ない(筈だが,実際はそう発音する人の方が多いようだ).
74 heaven と押韻するために1〜7が並ぶ.日本語では類音でないので,「ぜんぶ」との疑似アナグラムに訳してみた.この類のものは日本にも存在する.「天神様の[天の神様の]言うとおり,けっけっけの毛虫,油虫…」(以下さまざまな形で延々と続く)などを私は子供の頃使っていたが,皆さんはいかがでしょうか.一見無邪気な遊び唄であるが,よく意味を考えてみると死を扱っている.以下に続く縄跳び唄を初めとして,子供のライムにこのようなものが多いのはどういう訳だろうか.
75 1→5→10→30と数上がりにしたくて上のように翻案した.なお,pudding はカスタードプディングのような甘いものとは限らないので,塩胡椒が入るのも全然不思議ではない.終わりに近づくに従って速く唱え,最後には跳べないくらい速くして面白がる訳である.十分は一応「じゅうぶん」と読んで下さい.
76 can が缶と助動詞の両方で使われているが,私訳では同様の洒落が作れなかった.hop も或いはビールとの縁語だろうか?porter は porter's ale とも言うことがあり,黒ビールのこと.
77 4行目は自分の病気が死ぬほど重篤であるのかとの問いを,一般に人は死ぬものであるとはぐらかす答え.縄跳び唄であるが占いも兼ねており,跳び損ねて終わったところがその占いの答えとなる.早めに引っかかると respectable な死を迎えられない訳である.
78 パイは die と韻が合うため.マトンは as dead as mutton のように用いるためであろうが,As I was going to Derby で始まるライムをも想起させる.
79 日本で言うと,『お嬢さん お入んなさい』とか『大波 小波』のようなものか.盗賊の指示に従って跳び方を変えることが要求されるため,人気のある縄跳び唄だそうである.スペインはエキゾチックな響きのある地名なのだろう.なおアリババは,forty thieves であるので,関係はあるまい.
80 currant は「すぐり」.cassis は仏語形だが,黒スグリのリキュールはポピュラーであり,日本でもカシスと言わないことはないようである.こけ桃は本当は cranberry であるが,これも概ね赤い色をしておりソースやジュース,ジャムにするのでお許し願いたい.また原詩では「木苺のタルト」.#77と同様,占いを兼ねており,どの文字のところで跳び損ねるかによって,彼氏のイニシャルが占える.
81 ファージング銅貨は四分の一ペニー,英国で最低額の青銅貨であったが,1960年に廃止された.pasty はふつう肉入りパイ.nasty / pasty / tasty の類音を生かすためパイでなくお菓子としてある.ぶらんこの交替のときのライムだそうである.垣根の向こうまで放る勢いで Die once! Die twice! と2回強く押し,あとは自然に止まるまで待つ.最後の行はブランコの揺れが次第に小さくなるのに合っている.マザーグースの世界ではパイの中に赤ちゃんとお母さんが焼き込められたりしても何ら不思議はないが,これも死のにおいのするライムである.
82 mademoiselle と well の押韻を近似するため,私訳では井戸でなく河へ行くことにした.「可愛い子ちゃん」と訳したが mademoiselle は,家庭教師や学校の先生を指す可能性がある.
83 このライムも多分に音だけという性質の強いもの.初めの2行は四旬節中の日曜日の呼び名を含んだものだと言う.wheelbarrow は運搬用の一輪車.pot はホプスコッチの図形の端の半円形の部分で,ゴールを表し,また得点を書くのにも使う.私訳の姉さんの名前はSister Sarah のSの頭韻に合わせるため.
84 言うまでもなく初行は新約聖書の福音書の順.... bless the bed that I lie on. と続く有名な就寝のライムがあり,それのパロディと考えてよいだろう.
85 最終行を言いたいだけのために1〜7行で準備しているライム.私訳では残念ながら母を「食べる」意味にできなかった.「1った,2った,…9った」という手はあるが.
86 一応なぞなぞの形式をとっており,うっかり pinch me と言うとつねられる.私訳では,「ロクブッテ」とした.手袋を逆から言える?という謎々は全国的に行われているものかどうか確認していないが,それをヒントにした.
87 原詩の眼目は,just like me が「いかにも私らしく」と「私にそっくり」の2つの意味に解釈できるという点にある.私訳では何とか「そっくり」を「完全に」と「似ている」の両義に見えるようにしたかった.なお白秋訳は次の通り:「甲 あァがった、あがった、はしご段を二つ。/乙 ちょうど、わたしのとおりよ。/甲 あァがった、あがった、はしご段を四つ。/乙 ちょうど、わたしのとおりよ。/甲 おへやへはいった。/…/甲お窓の外(そォと)をなァがめた。/…/甲 そこでおさるをみィつけた。/…」
88 #85と同様,最後の行を準備するために,11行を要しただけの単純なライムである.訳は行数も合っており,比較的気に入っているが,或いは冗長であるかもしれない.単に「ア国へ行こう/イ国へ行こう」…と短くした方がよいかもしれない.
89 原詩は Charles the First walked and talked; Half an hour after, his head was cut off. というふうに読む.私訳は「歩き話した平将門,首を切られた,(その)半時後」というふうに読ませたいのである.
90 『ねこばん』既出.これについては,20本の爪でいった方が良いのではとご指摘を戴いた.原詩は Every lady in the land has twenty nails: upon each hand five, and twenty on hands and feet; と読む.年来悩み続けている訳.私訳では「日本の女はみんな指20本:片手には5本と,20手足には」のように読ませたい.爪20本にするのには抵抗を感じて,まだそのままにしている.英語で爪を用いたのは“twenty fingers”とは決して言えないためではなかろうか.爪を数える際は1本なのか,1枚なのか,そもそも数えないのではないか,といった疑問も生じるように思う.
91 この訳はまだ改良の余地あり.原詩がラテン語もどき英語であるので,ラテン語もどきのローマ字に訳した,という基本方針は正しいと思うのだが,意図通り読んでくれることを期待するのは困難であろう.「樅に脂あり,樫になし.泥に鰻が,粘土で死のう.蔦食う山羊が,驢馬麦を.」のつもりである.カシは常緑樹でありカシワは落葉樹と異なるので,本当は柏とすべきなのだろうが,米語では樫にもなりうるので誤魔化している.意外にも白秋の『まざあ・ぐうす』にはこのライムが収録されている.
92 glass マイナスG= lass の好きな彼奴は,更にLも除いて ass だ,という侮辱のライム.私訳は,サイエンス−ス=才媛好きの彼は,更にイの字を除いて冴えない,ということ.日本語では,基本的に音節単位でしか音を操作できないので,原詩のような芸当は困難である.
93 本当はロビンソンのままにすべきだったかもしれないが,つい猿の洒落にしたくなった.ロビンソンという名前をからかうライムだろう.「園」だけで動物園とわかるだろうか.
94 侮辱の言葉でありながら,それなりに韻律が整っているので,私訳の方もなるべく意味の似た語呂合わせにした.「消えろ」は日本語で,yellow に近い音となるので,このような訳になっている.
95 #69と同様,諺から始まるライム.4行目は so will I have my choice. ということで,だから君のような奴とつき合うのは願い下げだという,比較的高度な(?)侮辱と言えるかもしれない.
96 原詩は浴槽の排水溝から流れ出ていってしまうの意.米国西海岸ならこれでもよいか,ということで私訳は太平洋へ流れることにした.チャーリーという名の男の子はこのようにからかわれる運命にある.
97 色の名前が豊富なライム.Scarlet Fever は「猩紅熱」でも紅はつくのだが.なお百道は福岡市早良区の地名.固有名詞翻案パターンを採った.正しくは流しで倒れたのであり,キャロライン・ピンクの居所はチャイナタウン.
98 ネブカドネザルは印象的な名前である.私事ながら,カトリック系の小中に通ったので,何をした人なのかは覚えなくても,ネブカドネザル王の名はすぐに覚えてしまった記憶がある.
99 このライムの訳はずいぶん様々なバージョンを考えた.姉と柿の漢字の旁が同じになるし柿とかき餅は消化に良くなさそうなので,一応この訳に定着した.
100 質問をはぐらかすパターンのライム.o'er は over を1音節で発音する場合の表記.最終行の意味は体を洗ったためしがない,ということ.
101 winder は window を強引に Pinder と押韻させた形.Mother come も came であるべきであるが,押韻の要請が優先している.なお原詩の「おしりをぶった」は訳で消えている.
102 アイスクリームと「私は叫ぶ」の洒落は,誰でも容易に思いつくのではなかろうか.そう言えば Ray Bradbury の短編に The Screaming Woman というのがあって,冒頭にアイスクリームが出てくるのは偶然だろうか.
103 一応早口言葉だが,間違って“shit”と言わせようという魂胆.よって同様の趣旨の訳にした.
104 最初の2行は,有名なマザーグースの手合わせ歌.原詩の答えは that,訳の方の答えは「これ」である.「4文字で これ 書いてみて」として答えが「kore」というのも考えられるが.
105 答えはココアで,綴り字の形状を述べたなぞなぞ.「ここは」はココアの洒落のつもり.4行目の treat は「ごちそう」の意.
106 韻と口調の良さがポイントなので大幅に翻案した.姪浜は福岡市西区の地名.かも南蛮は今の若者に通じないかもしれないが,鶏肉と葱の入ったうどんのこと.「胡瓜の9番」というのもあったが,長すぎるので.
107 原詩ではRの字を使わずに書ける?である.このままのパターンの訳を思いつかなかったので#104のパターンを借用した.謎の答えは原詩が that,訳の方は「これだけ」である.
108 もしマーモットが木を放れるとしたら,どのくらいの木を放れるのか云々という,極めて有名な早口言葉.一見明らかなように,原詩と私訳は全く意味が異なる.ところで原詩の英語は早口言葉という割には,さほど言い辛いという気がしないのだが.
109 神様を閻魔に訳している.キリスト教徒の方,お怒りになりませんように.Go below は天国に入れてはやらん,ということでしょうから私訳でもそれなりに意味は合っていると思います.なお morrow は詩語だが,tomorrow は語源的には「今朝」.日の区切り目が日没であった時代の名残らしい.和語の「あした」にも同様の現象が見られる.
110 自分のことは棚に上げ,あたかも本が自らの意志をもってうろつくが如く言っているのが面白い.
111 「パパが知ったならこう言うだろう」という部分が訳せなかった.ボストン刑務所が巣鴨監獄で良かったかどうか.うちの母親によると,巣鴨というと刑務所を連想していたそうです.lad は lass に対応する,男の子を意味する語.gaol は jail のイギリスでの公式の綴り字.
112 なかなか理屈っぽい説得である.この本と私の拳は別物ながら,後者を恐れるなら前者を盗むな,ということ.「後者いらなきゃ/前者を盗るな」ともできるのですが,日本語としては分かりづらいかと思います.英語は代名詞がより発達しており,日本語に比べると簡潔に表現できる理由の一つとなっています.
113 原詩では「悪魔が〜しますように」となっている.ことほど左様に借りた本を返さない,或いは無断で持ち去る輩は古来よりあとを絶たないのであろう.現在の英語では Who はWhoever とするのが標準的.
114 以下は何れも本に書き込まれる落書きの類.真面目に指示通りの注を捜しても存在しない訳である.「誰もかも」は日本語がおかしいかもしれない.数字は one-one-four と読むのだろう.
115 前のライムと同様.153頁となっているのは押韻の関係であり,何頁でもさほど関係ないので,私訳ではいっそのことライム番号をそのままページとした.
116 以下は三部作.by hook or (by) crook は「いかなる手段を講じても」という熟語で,これ自体が音の要請によりできたような表現.正しくは「最後に落書きしたのは私」だろう.
117 そうはさせじ,という応答.現代ならホワイト(修正液)を使って,と言うところだろう.pの頭韻が効いている.前のライムから続けて I'll see that you ain't (last in this book). の省略と読む.
118 これも ... be last in this book. の省略と考える.quill は quill pen「鵞ペン」のこと.I'll be hanged if ... は文字通りには「もしそんなことがあれば縛り首になってもいい」で,絶対そんなことはしないという意味.
119 この章のライムは日本とのカリキュラムの違いにより,小学生向きに訳そうとしても通じないものが多いのは致し方あるまい.#91同様,一見ラテン語風に見える英語である.原詩は Brutus 'ad some jam for tea, Caesar 'ad a rat. Brutus sick in omnibus, Caesar sick in 'at. となっており,h音が脱落していると考えられる. jam「既に」sic「そのように」adsum「私は出席している」aderat「彼は出席した(不完了過去)」forte「偶然(fors の奪格)」in omnibus“in all”など,一応存在する羅語が並んでおり,とても良くできている.私訳もなるべくラテン語らしくするために deo(神の与奪格)chao(カオスの奪格)tabernari(小商人の属格)nomi(歌の属格)nedum「いわんや…でない」gero「私は運ぶ」boo「私は吠える」acani(オオヒレアザミの属格)hac「ここで」などをちりばめたが,その分読みにくくなってしまった.「ブルータス,ジャムでお茶を飲み/カエサル,鼠を食べるなり/ブルータス下呂を乗合バス/カエサル帽子の中に吐く」のつもりである.
120 I say, Billy, here's a go, 40 buses in a row. No, Billy, them is trucks, see what is in 'em ? peas an' ducks. と読む.前のライムほどではないが,これも良くできている.a go は口語表現で「妙なこと,事態」のような意味.私訳は「ほら見てそれを,何だあれ?/四十台,バスならんだね/三郎,あれはトラック/豆に,家鴨も乗っている」と読ませるつもり.何れにせよ,解説をつけないと読めないようでは駄目でしょうね.これらの訳についてはもう少し考えたいと存じます.
121 ラテン語の初歩でまず唱えさせられるのが amo amas amat amamus amatis amant という第1種活用動詞「愛す」の直説法現在能相である.以下3つのライムはこの活用を主題としている.私訳では音を合わせようとして意味を変えてしまったが,あまり良い出来ではない.原詩の直訳は「僕には彼女がいた.そいつはどんどん太っていった.僕はそいつをジャガイモを食わせて養ったが,ひもじくて死んでしまった」のようになる.だが彼女という割には,it で受けていてあまり愛着を抱いていないようだし,途中で飼い豚のような扱いになってしまう.
122 cowslip はキバナノクリンザクラ,桜草の一種らしい.periwig は弁護士などがかぶる白い鬘のこと.なおラテン語の文法では,possessive と言わずに genitive を用い,「属格」と訳される.スラヴ系の言語では「生格」と言うようだ.ドイツ語では即物的に「2格」と呼ぶのが定着してきている.いずれにしてもこのような文法用語に散々悩まされる生徒はせめてもの意趣返しに,このようなライムに興じるのだろう.5,6,8行はそれらしい単語が並んでいるがほとんど意味をなしていないので,私訳ではそのままカタカナ表記にした.
123 原詩は「彼女の運命は何と悲しいものだろう」と間接的に言っているところが良い.訳は死ぬと明言してしまっているので今一つ.ところで,同種の遊びが日本にないかと考えてみると,英語もどきローマ字がこれに相当するのではなかろうか.To be, to be, ten made to be. は有名だろうが,生徒にきくと,Fully care! / Car was to become / Ms. Note. などというのもあるらしい.この類のものを他にご存じの方がおられましたら,ぜひお教えください.
124 あまり詩的,教育的でない内容はともかく,これはちゃんとしたラテン語.訳の方も殆どそのままにしてある.
125 BE動詞に相当する sum の直説法現在の活用 sum es est sumus estis sunt も初歩で覚える事項の1つ.これのみ,英語学習に翻案して訳した.考えてみると英語でラテン語の如く活用を唱えて覚える必要のあるのは be のみであり,こと語形変化に関するかぎり英語は印欧語の中で最も易しいものの1つなのである.活用で頭を痛めるイギリスの子供たちはそれまで英語しか知らなくて独語,仏語,羅語,希語等の学習に面食らう日本の大学生とある程度似た感覚なのかもしれない.
126 squeezer と押韻する geezer は男,変人の意味の俗語.原詩は「レモン絞りでしぼった」.下ろし金を「おろし」と短縮しても,通じるでしょうか.squash v. 押しつぶす.日本語では「スカッシュ」と訛る.なお米では南瓜も squash である.
127 ヤードポンド法での面積がややこしいのを覚えるためのライム.日本人には馴染みがないので,翻案パターンを考えてみた.
128 4行目の it は sneeze を指す.私訳の「取り戻せ」の目的語は了解して戴けるだろうか.なお Caesar は皇帝の称号であり,アウグストゥスからハドリアヌスまで全てカエサルと呼べる.くしゃみ sneeze は迷信的に言うと,ちょっとした生命の危機を意味するので,何か手段を講じるべきだと考えられる.Gesundheit! などと言ってあげるのは,その1つ.日本でも嚔の後に「こん畜生」とかその類の言葉を続ける人がいるが,罵ることによって悪い霊などの憑依を防ぐといった意味合いが背景にあるのかもしれない.
129 ギリシア語の文字を覚えるライム.原詩は「おいぼれ魔女を打ち倒して石で打ってから,立ち上がらせてぶん殴れ」となっている.βは beat her,ηは eat her と,それぞれほぼ同音に聞こえることになる.訳は3行目を「イプシロン,ジータ,イータ,シータ」と読んで戴くと,うまく音が合うようになっている.
130 今度は仏語.je suis, tu es, il est, nous sommes,
vous etes, ils sont という,etre の直説法現在の活用をモチーフとしている.ギリシア語に比べればはるかにましとは言うものの,仏語も直説法現在,単純未来,半過去,単純過去,接続法現在,半過去,条件法現在とかあって,十分活用が面倒くさい.you
are は本来複数形の借用であり,本来の2人称単数形は thou art であった(ドイツ語の
du bist に相当する).今では聖書や詩句を除いて,一部方言やクエーカー教徒以外は用いないが,フランス語の親称2人称を覚える際は,やはり
thou と関連づけて覚えるのだろう.
131 英語では j(e) + am → jam のように聞こえるため,ちょうどうまく語呂が合っている.fart「屁」は,be
の2人称単数形 art と関連づけているのだろう.以上この章の言語学習関連のライムについては,どれもあまりうまく訳せなかったものばかりです.申し訳ありません.
132 このライムについてはセンダックのイラストをご覧戴かないと分かりにくいだろう.元の詩の方は括弧内のように発音すべし,ということ.Eは「煉瓦を放る」.Fの effervescence「興奮」.jaffa は大きな種なしオレンジの一種.Lの hell for leather は「猛烈な勢いで」.Nの infra dig は「体面にかかわる」.pee は「おしっこ」.Rは Half a mo(ment)!「ほんのちょっと待ってくれ」.Uの euphemism「婉曲表現」.zephyr はゼフュロス,西風.訳の方もイラストに依存しており,時には勝手な絵の解釈に依っている.Cは赤ちゃんの絵であるため.Dは男が耳をすましている絵.FはEで放られた煉瓦が女の子に当たりそうなのを男の子と犬がわくわくしつつ見ている絵.HはGの警官にお婆さん,お爺さん,犬があかんべをしている.KとLはJのターバンの男が放るジャファをよけている王と女王.逃げていると解釈して上のような訳にした.Mは舌を出してあかんべをしている王.Nは目を覆って逆立ちしている王.Oは目を覆っている女王.Qは,Pでおしっこをしていた王がバスを待っているのにむかって女王が怒鳴っている.Rはそのために王がバスに乗り遅れ,追いかけている.Sは巨大な帽子のメイドを嘲笑う少年.その後,お茶を注がれて喧嘩になって,Uで男が tiff「軽い立腹」と喧嘩のことを婉曲表現しているが,聞いた女は理解できない.Wの男はVの自由の女神からバンドバッグを盗んでいる.Zでは自由の女神が西風の精よろしく息を吐いて,みんなを吹き飛ばして,おしまい.かなり苦労した割には玉石混淆の観があり,折をみて訳の改訂をはかりたいと思っている.そろそろ 21st-Century Alphabet とすべき時節だろうか.
133 『ねこばん』既出.固有名詞翻案パターン.故稲益俊男先生は教頭時代にお世話になった方で,後校長になられた.恐らくフェル博士もそうだったのであろうが,真面目で優秀な先生であるが故に何となく煙たい存在だったため,失礼して名前を読み込ませて戴いた.衷心よりご冥福をお祈りしたい.元の詩についてのエピソードは有名で,後に風刺作家となった Tom Brown (1663-1704) を退寮処分にしようとしたフェル博士が,ローマの詩人Marcus Valerius Martialis の次の詩行を訳せたら処分を取り消すと申し渡したのだと言う.Non amo te, Sabidi, nec / possum dicere quare; / Hoc tantum possum dicere, / Non amo te. ブラウンはうまく切り抜け,フェル氏の悪名はこれにて immortalize されたという次第.このライムに関して最も訳出すべき点は元の詩に入っていない勝手な人名を織り込んだということそれ自体であると考え,敢えて上のような訳にさせて戴いた次第である.
134 訳の方では「チャーターハウス創設者」を補った.チャーターハウスは有名なパブリックスクール.
135 これも訳でプロフィールを補った.2行目は文法上
There is no knowledge but I know. で良いはずだが,it がついているのは押韻のためか.
136 2行目は押韻の都合で目的語が動詞より先におかれている.比較的調子よく訳せたように思う.
137 おそらく squiggly は squirm と wiggle の混成からできた単語で,「のたうつ」の意味の副詞.niggly ははっきりしないが,少なくとも前の行と対照的な意味だろう.4,8行が本の方では To-eat-worms とハイフンでつなげたように印刷してあり,なぜなのかかなり頭を悩ませた.これは To eat worms と区切り,3語ともアクセントを置いて読むという意味で,合成語を意味するのではあるまい.
138 2行目あたりに羅語に対する憎悪の念がよく現れていると言えよう.
139 『ねこばん』既出.日本の子供は九九を覚えるのに苦労するが,お陰で暗算は英語圏より得意であるらしい.九九が複雑怪奇,というのはあまり当たっていないかもしれないが.practice は英の旧貨幣単位(12ペンス=1シリング,20シリング=1ポンド)でのかけ算.古くは北原白秋も訳出しているライム.「掛け算はしちめんどう、割り算は因業、比例は人なかせ、応用問題気がちがう。」
140 時制はまだしも,直説法(indicative mood),命令法(imperative mood),仮定法(subjunctive mood)などの用語は,ラテン語譲りの英文法を使うため出てくるに過ぎず,生徒が納得しないのも頷ける.尤も日本語文法も同じ轍を踏んでいると言え,他人事とは思えない.文法嫌いはいつの時代の学生にもあるのだろう.文法偏重により語学嫌いを作るのは良くないが,非ネイティブスピーカーにとって効率的学習のため,不可欠であることも確か.ある時高校1年の英文法の最初の授業で,1時間かけて概説を終えたところ,一人の男子生徒がやって来ると,真顔でこう私に質問した.先生,「しゅご」って何ですか?
141 これは penmanship に対する抗議のライムだろう.自分のことを棚にあげて,使っている道具のせいにするのは万国共通か.
142 Don't care がここでは,口癖として I don't care を連発する人の代名詞のように使われている.done は well-done の場合と同じで,「煮えた,焼けた」の意.2行目の過去分詞はhanged であるべきであろうが,done との押韻の都合上 hung となっているようだ.尤も食べ頃になるまで肉を吊しておくの意味なら hung でも良いのかもしれない.
143 子供の世界でいったん与えたものを取り返そうとするのは最大の悪行なのだそうである.古くはプラトンも,このような発想に言及していると言う.2行目は勝手な地口に変えてしまったが,dance / devil の alliteration を近似したかったためである.「悪魔の頭で」や「悪魔のお腹で」も考えられるが,無用に変更を加えすぎると,悪魔の背中で踊らされるやも知れぬ.
144 「明日,明日」と言うが,その明日は来ない,という訳だが,明日になれば今日になっているので,明日は決して来ないという理屈をこねることも可能だ.なお,procrastinate は「遅延する」の意味の格式語.Procrastination is the thief of time. といった諺もある.
145 an は and if が起源で,条件の接続詞.If wishes were horses / Beggars would ride; / If turnips were watches / I would wear one by my side. と同様の内容.このライムは『ねこばん』既出,「のぞみが うまなら/こじきも のれる/かいが とけいなら/わたしもかえる」と訳した.但し turnip は「かぶら」.ここで一寸失礼して自己パロディを一つ:もしも「もしも」が/ありの実ならば/果物屋さんは/ようなしだ.
146 Roses are red, / Violets are blue, / Sugar is sweet / And so are you. がオーソドックスな形.#30を参照.for a laugh は「冗談で」であって,私訳の意味はずれている.fandango はスペインの陽気なダンス.「タンゴ踊って」のままの方が良いのかもしれない.scream は「ひどくおかしな物」の意味の口語.日本語で blue も green も「あお」と言えるのは,primary colours が「あか,あお,しろ,くろ」の4色であるため.色の形容詞はこの4つのみ.但し「黄色い」「茶色い」とは言うが.
147 nought は nothing の意.エイプリルフールと言っても,人をかついでよいのは午前中に限られると言う.
148 故に,午後になってもなお人をだまそうとすると,このようにからかわれることになる.
149 ハロウィーンは All Saints' Day の前夜祭(ただし古い考え方では当夜祭だが)に当たり,表記にアポストロフィが入るのは夕べ even(ing) の意であるため.turkey bean の意味がよく分からず turquoise のことか等とも思ったのだが,違うようだ.私訳は「裸眼で」のコロケーションが良くない.
150 火薬陰謀記念日にガイ・フォークスの像を篝火で焼く行事は,より古くからあった万霊節前夜の火祭りが形を変えたものだと言う.今は当然キリスト教関連の行事と思われているものの中にも,より古い祭儀が形を変えて残ったものが多く含まれている.
151 treason は反逆(罪).普通のマザーグースの選集には最初の6行が載っている筈.最後の2行により,通行人に恵みをねだるライムとなっている.最後は「ガイの帽子」と「この爺めの帽子」の両義的表現か.
152 私訳では銅貨の洒落が念頭にある.キャロルを歌って家々を回り,施しを受けるライム.米国版なら「1セント」とするところだろう.
153 尊敬する郷土の大詩人である北原白秋による『クリスマスがきますわい』と題された訳は以下のとおり.『右や左や,クリスマス./がちょうがふとってめえりやす./どうぞや一ペンニイ,/じいめが帽子にほうりこんでくだされ./一ペンニイがおいやなら半ペンニイでもようござる./半ペンニイでもないならば,/ごきげんよろしゅう,だんなさま.』ha'penny はヘイペニーと読むが,halfpenny を発音通りに表記した形.私訳は五円とご縁の洒落にしてある.God bless you! は「神のご加護を」だが,Gesundheit! 同様くしゃみをした人に言ってやる言葉でもある.
154 『ねこばん』既出.冒頭の telltale は密告者の意味.簡潔に訳しすぎたため,町中の犬に一切れずつ与えるという意味が訳せていない.日本の学校ではこれとは逆の内容のものの方がよく聞かれるようである.「言ーってやろ 言ーってやろ 先生に 言ーってやろ.」(但し私の出身地の北九州市近辺では「ゆーちゃーろ ゆーちゃーろ」と発音される.)白秋訳は「やまがらのおしゃべり、/お舌がさけよぞ。/町じゅうのいぬが/ちんぢんにかんじゃうぞ。」
155 原詩は「僕がやったんじゃないとママに言え」となっている.日本では「泣き虫 毛虫,つまんで捨てろ」などと言うのではなかろうか.これも白秋訳あり.
156 coward の形容詞形は普通 cowardly.原詩は「からしつきのパンを食うこともできない」.カスタードは頭韻と脚韻を整えるために使われている.私訳は〜虫と音を合わせるために茶碗蒸しとした.どこかの民謡で茶碗蒸しを虫の一種かと勘違いするという内容のものがあったのを連想して訳した.
157 sluggard は怠け者.guise は rise との音合わせだろうが,或いは「口実」の意味もあるのだろうか.lo(a)th a.〜するのを嫌がって.
158 原詩は「唾をなめろ」.brimstone は硫黄,語源的は「燃える石」,現在は普通 sulphur と言う.地獄の火は硫黄の火と考えられていたので「地獄の硫黄」は的外れではあるまい.一方「きつそう」は無理があるのだが,回文癖でこのようになってしまった.「火葬」も類音の追加のためであり,必然性はない.「唾をつく」にはやや無理があるかもしれぬが「嘘をつく」という場合の「つく」が吐く意味であることは間違いあるまい.
159 2行目は諺.初行は trim-tram の形でOEDに載っている.In riming jingles; sometimes referring to similarity or equal treatment of two of different position. Now dial. と書かれている.ところで日本語で猿真似というが英語で copy-cat「猫真似」となるのはcの頭韻が働くためだろうか.
160 固有名詞翻案パターン.実は訳の方は西日本方言形が念頭にあり,その場合「出とる」となる.メートル法になおした?のはそのため.西日本方言でひとつ便利な点は,進行形と結果の現在完了の区別がつくことである.「出つつある」の場合は「出よる」と言う.
161 同様のライムに Rain, rain go to Spain, / And never, never, never come back again. がある.『ねこばん』で「あめ あめ アメリカいって/だめ だめ かえってきちゃだぁめ」と訳した.スペインと雨はミュージカル My Fair Lady にも登場するように容易に思いつく押韻語なのだろう.安易かもしれぬが,日本語ではどうしても雨〜アメリカと結びつくのではないか.
162 原詩で牛は単数.牛が登場するのは,母音が違うものの snow との類音のためであろう.「ウマゴヤシ」はクローバーの和名.
163 『ねこばん』既出.あとに“Snail, snail, put out your horns, / I'll give you bread and barley corns.”のついた形で,「〜でんでんむしむし角見せろ/田樂飯に麥粉遣ろ」と,旧字体歴史的仮名遣いで訳した.でんでんむしを殻から出そうとするのは多くの文化圏に共通の発想であるらしい.原詩では「石炭のように真っ黒になるまで」ぶちのめす.出てくれば褒美にパンと大麦をやる,と言っている.
164 更に2行 All except one and that's little Ann / And she has crept under the warming pan. と続けることが多いので,それを含めた訳を掲げた.和名にも現れているように,天道虫は幸運をもたらす,ないし神聖な虫というイメージがあるらしい.もしテントウムシが体にとまった場合は,傷つけたりしてはならず,このライムを唱えて飛びさらせるのが良いとされる.ladyfly,ladybug,ladycow をはじめとして,テントウムシには極めて異名が多く存在する.
165 light n. 口語で「目」.北欧神話で主神オーディンの神鳥ではあっても,烏はやはり縁起の悪い鳥と考えられるようで,このようなライムで追い払われる損な役回りであるらしい.目玉を食べると脅しているが,現実には逆にカラスが小動物の目をつつくこともあるようである.
166 原詩では「お前が内陸にいると決して良い天気にならない」.sの頭韻が効いているが,訳の方では再現できなかった.
167 蛾は鱗粉を散らすので粉屋に喩えられる.puss moss の名は,幼生が毛むくじゃらのため猫の名を冠したもの.24という数字は十二進できりの良い,呪術的意味合いのある数なのだろうか.Four and twenty tailors went to kill a snail ... 等にも登場する.なお独語では今でも一の位を十の位より先に言う.peck は 8 quarts,9リットルほどだが,1ペック入りの桝もあるので上のような訳にした.
168 私訳では「泣き叫ばずに」が抜けている.squall は突然の風雨の「スコール」と同じ綴り.原詩の虫は複数形.そう言えば (as) snug as a bug in a rug という比喩表現がある.
169 3行目の「紐があったら」は意味がややはっきりしないこともあり訳さなかったが,紐で叩くのか或いは紐をつけて呼び戻すのか.ring との内部韻の要請ということもあろうが.初行は bugs begin to bite のbの alliteration が効いている.私訳ではmの類音にしようとした.
170 clothes は服ではなく bedclothes の意.センダックのイラストは虫に対する呼びかけとの解釈らしい.素直には子供への呼びかけだろうが,そう読んではこのシリーズに相応しくなくなるかもしれない.どちらにも取れる曖昧な訳にした.
171 簡潔に訳しすぎ言葉足らずだと思う.忠実な訳は「蚤たちが君の鼻を刺しますように」である.as busy as a bee なら普通の比喩であるが,「蜂ほどもある蚤」というのはなかなか怖そうである.
172 do a bunk は「逃げる」.3聯の holly は柊の筈だがそれでは意味が通らない.holidays の意味,或いはクリスマス休暇を象徴する植物としてヒイラギを使った,という解釈はどうだろうか.私訳ではこなれない日本語ながら,クリスマスツリーのモミの木の実あたりを思い浮かべてくれることを期待し,休暇の洒落で「毬果」としてみた.まり状の実という意味である.
173 全寮制の学校に学ぶことの少ない日本の子供の場合,ここまで解放感を感じないかもしれない.小学生を念頭に訳したので2聯のラテン語,フランス語は翻案した.原詩で椅子は“bench”であり,数人分つながったタイプのもの.3聯は「溝から汲んだような水」で訳は勝手な洒落に走りすぎだとは思う.4聯,もちろんジャムパン等というものは欧米にない.yukky は yucky の方が普通かもしれないが,嘔吐を表す擬音語 yuck の形容詞形.新聞などでも報じられるが如く,近頃の子供がすぐ「むかつく」というのは聊か気になるところである.7聯,beetle をカブトムシと訳すと,却って子供が喜びそうである.ここはやはりゴキブリだろう.そう言えば The Beatles も元はわざと嫌われそうな名前をつけたものらしい.googly eyes というのも見かけない表現だが,goggle eyes「ぎょろ目」の意で良いのだろうか.(')cos は because を発音通りに表記した形,ポップスの歌詞等ではごく普通に見かける.
174 #0とは対をなす「終わり」の折り句.「おしまい」にしても4文字になるので,5行の折り句にできない.そこで安易かもしれないが,ローマ字でほぼ同内容の折り句を作ってみた.巻末の解説によると,この種の折り句はIとJを区別せずに用いた頃から使われてきており,かなりの長い伝統をもつものらしい.nicklebrandy は安物のブランデーの意で解釈したが,それでよろしいのでしょうか.